娘の「うんこ掃除係になりたい!」という純粋な夢
娘の「うんこ掃除係(飼育係)になりたい!」という純粋な夢をぶち壊した(笑)、
なんとも「悪どい母」には、
娘がもうひとつの夢を持っていることを知っていました。
それは、「女優になりたい」、大阪にある俳優養成学校に通いたいという夢でした。
でも、ソロバンの塾代もままならない母子家庭には、
俳優養成学校の入学金や授業料は、とても手が出せるものではありませんでした。
そんな生活ぶりでしたが、ひっそりと親子ふたりで肩を寄せ合いながら、
九州から大阪にきて6年が過ぎようとしていました。
美容師としての仕事も、落ち着き、生活も安定してきていました。
ちょうどその頃、わたしに見合い話が舞い込んできました。
勤め先の「先生の友達」を紹介するということでした。
それが今の夫、マスターでした。
娘の、夫への第一印象は、日焼けして、パーマをあてた「チビクロサンボみたいな人」でした。(笑)
わたしの結婚には、決して強い反対はしませんでしたが、
「母親の結婚」の意義、理由、みたいなものを見いだせずにいたようです。
娘の言い分は、
『ずっと今まで、ふたりでやってきたのに、なんで今更再婚する必要があるん??
別に、これからも、ふたりでいいンじゃねぇ?』
と、いう意見でした。
確かに朱美の言うとおり。
なんで今更・・・という気持ちもわからないわけではなかったけど、
正直、わたしは大人の話相手、相談相手が欲しかったのです。
そうこうしている間に、
娘は当時の担任の先生に「母の再婚」について相談していたようです。
担任の先生は、「よかったじゃない、おめでとう!」と祝福してくれたようですが、
娘はそこではなく、「母親が老いても旦那さんが見てくれる」という言葉に、なるほどと結婚を納得したようでした。(ソコか!笑)
娘から再婚のOKサインが出たのをきっかけに、
母が再婚すると、こんないいことがあるよ、あんないいことがあるよ、と、
いままで何もしてあげられなかったことを、メイいっぱいしてあげるようになりました。
小学六年生の夏休み、子供だけを集めたハワイ行きの短期留学を皮切りに、
大阪にある俳優養成学校にも通わせるようになりました。
ECCの英会話学校にも通わせるようになりました。
ピアノも3日坊主でしたが通わせてみました。
学習塾にも通えるようにしました。
でも塾には行かず、月謝を使い込んで遊んでました。(爆)
母子家庭を経験された方なら理解していただけると思いますが、子供に
寂しい思いをさせていた分どれだけのお金を注いでも惜しいとは思いませんでしたね。
多少、ひっちゃかめっちゃかな所もありましたが、
休日は枚方パークに遊びに行ったり、花博にも行ったりしたよね。
そして、中学に上がる時をきっかけに、婚姻届けを出しました。
娘は名前が変わるのを嫌がっていましたが、それもすぐに慣れて、
将来の夢は、ごく普通に、「女優になる!!」と言い放ち・・・
俳優養成学校からは、主役とは程遠い、「ロバの足」役をもらってきては(笑)
学校の先生やクラスメートにチケットを買って貰っていました。
(先生、皆さん、その節は本当にありがとうございました;感謝!)
今振り返ってみても、
中学時代も結構幸せな学生生活を送っていたのではないか、とおもいます。
大きな変化があったのは、娘が中学2年の時、弟が生まれました。
14才も離れているので、兄弟というより、ほとんど親代わりでしたね。
弟をとても可愛がり、髪の毛を結んでみたり、ミルクをあげ、おむつも替えたりしてくれていました。
わたしが勤めに行くようになると、娘のほうが学校から帰ってくるのが早かったので、
セーラー服のまま、保育所へ弟を迎えに行ってくれてました。
やさしい、優しい、とってもいいお姉ちゃんでしたが、
セーラー服のまま乳母車を押して歩くのは、ヤクルトのおばさんからジロジロ見られて嫌だわ!
とか、
学校帰り、みんな遊んでるのに、わたしは「お迎え」があるから遊べない!!
わたしの青春かえせぇ~~!!
とか、
ヘンな喜び?の声をあげておりました。(笑)
ありがとうやったね、
あーちゃん。