幼なじみのレイプ事件
誰にでも幼なじみはいると思います。
娘にも小学生の頃からのお友達がいます。
同級生で、親同士も顔見知りで、
お互いの家に遊びに行ったり来たりする仲です。
高校生になって、大阪から奈良に越してきても
その幼なじみは時々奈良の橿原に遊びに来てくれていました。
ある時、
何がきっかけでそんな話になったのかは忘れましたが、
娘がその幼なじみの話をわたしにし始めました。
幼なじみは、ロックバンドのグループに属している人と付き合っているらしく、彼氏に会いに行ったときに、そのグループの人達にレイプされ回されてしまったのだとか…。
幼なじみは、どんな想いでそのことを娘に告げたのでしょうか。
(胸が痛みます。)
大変な話を聞いてしまった…と思って、
娘の顔を見上げると、娘の口角が上がり、目が笑っていたのです。
えっ?
ええっ?
笑ってる?
口角あがってる…
どういうこと??
高校2年生の娘に、2度目の不信感を持った瞬間でした。
娘への初めての不信感
奈良に引っ越してきました。
娘の進学先が決まったら、
大阪の交野市から、
奈良県の橿原市に引っ越そうと計画を立てていました。
高校が橿原市からのほうが近いのと、当時
わたし自身がまだ1才くらいの赤ちゃんを連れていたので、パート勤めをするより、ガレージを改造して、小さなパーマ屋を始めようとしていたからです。
娘もすぐに高校生活になじみ、
女友達も沢山できて毎日がとても楽しそうでした。
そして、女友達だけでなく、ボーイフレンドもできたようです。
ボーイフレンドとは、学校の行き帰りも、いつも一緒で、親の目からみても初々しく、爽やかで、とてもお似合いのカップルでした。
仲睦まじく幸せそうな二人を見て、ずっと続けばいいなぁ。と思ってはいましたが、残念ながら、そうはなりませんでした。
娘が高校2年の時、
学校近くのスーパーでアルバイトをするようになりました。
娘はそこで出会った八百屋でバイトしている男の子に恋をしました。
写真を見せてもらいましたが、
コレの何処がいいの?と思わず言ってしまったほどブ男です。
高1から付き合っている彼氏のほうが比べ物にならないくらいいいのに…。
そういいましたが、
娘曰く、「額に汗して働いている姿がなんとも男らしく、格好良く、めちゃくちゃ好きやねん。」と。
当然、娘は高1から付き合っていた彼氏が徐々に疎ましくなり
別れを切り出すも彼氏のほうは、「なぜ急に?」と訳も分からず
問いただそうとっすると、娘はクラス中の男子と女子に、元彼にストーカーされて困っている、と言いふらし、被害者を装い、クラス中の男子と女子とに元彼から「守ってもらう」というスタンスを取ったのです。
芸能文化科は、普通科と違い、クラス替えがありません。
かわいそうに。
元彼は、卒業までクラス中からストーカーの変態扱いされたのです。
本物のいじめっ子って、
娘のように、自分を弱く被害者にみせ、周りを巻き込んで、同情を得ることに丈ています。
わたしが親として、「娘への不信感」を初めて持った出来事でした。
KICに子供達が入社
個人輸入のサプリメントでもダイエット食品がよく売れるように、
物販でも韓国製のワンダーコアなど、ダイエット関連のものはよく売れました。
夫と二人、機嫌よく物販を楽しんでおりましたら、
ある日、隣町に住む娘が、
「足と、足首あたりが痛い」と病院に行ったら、
何だか聞いたことも無いような難しい病名を告げられ、
「1日立ち仕事はNG」といわれたと連絡が入りました。
娘も美容師で、全時間ではありませんでしたが
当時、少なくとも1日5~6時間位はパート勤めをしていたと思います。
「こまったなぁ、どうしよう。美容師(立ち仕事)できなくなっちゃったよ。。」
嘆く娘をなんだか不憫に想い、
夫と二人でやっていた「メルカリ物販を手伝うか?」
と気付いたら、声をかけていました。
娘もしばらく考えたあと、
そうやなぁ、、
ここなら立つのも座るのも自由やし、美容師みたいに
生身の人間触るわけでもないので、気も楽でいいかなぁ。
と、いうことで
夫と二人でやっていたお気楽物販に娘が加わり
3人で仕事をすることになりました。
さぁー。
実はここからが大変でした。
夫とふたりでメルカリ物販をしていたとは言っても、
当時はまだ夫も現役サラリーマンでしたから、
物販に利益があろうがなかろうが、あったら嬉しい、
程度で「稼ぐ」という売上の意識レベルも低く、
夫と二人の「楽しい趣味」の物販が、
急に、美容師だった「娘の給料を捻出」しなければならなくなりました。
もちろん、今とは違い、当時の娘は優しく、
大丈夫だよ。母さん。
物販で8万円の給料が取れたらなんとかやって行けるから。
と言ってくれていましたが・・・
夫婦二人のお気楽物販から、
稼がなきゃ、真面目に稼がなきゃ、
「ちゃんと稼がなきゃ物販」へと徐々に変貌していったのです。
それでも物販は楽しく、きゃっきゃ言いながら月日は流れました。
そんなある日、
東京で就職していた息子が肩を壊したと勤務先から連絡が入り、
スポーツ選手だった息子には肩の故障は命取りで、やむなく親元に戻ることになりました。
息子が戻ってからは、姉と弟、ふたりで楽しそうに、キャッこら言いながら、親のお金で!、それぞれ自分の好きな商品を仕入れ、メルカリやAmazonでそれぞれ好きなものを販売しておりました。
当時の娘はメインに化粧品を扱い、
息子はおもちゃを扱っていました。
どちらも自分の嗜好で、親の目から見ると微笑ましくも
横領レベルに商品を自分のものにしておりました。(苦笑)
娘が手芸用品のマットを仕入れると、
まずは「試供してから販売!」と言っては、
自分のものと、弟のものを仕入れては弟にも分け与え、
ふたりで競争しつつも、、、
マットはどちらも完成させられず、未完成で終了し、(苦笑)、
デジタルペイントについても、色塗り細かすぎて途中で放り出し、
またしても、どちらも完成させられず・・・(困ったものです。)
そして姉と弟、どちらも綺麗に完成させられたのが
ダイヤモンドペインティングだけだったのです。
うれしかったんでしょうねぇ。
「ダイヤモンドペインティング」
特に娘のほうが喜びが大きかったようで、「私でもできる!!」
と自信をつけ、アートの仕入れ量を増やし、メルカリ販売をがんばっておりました。
まだ、「ダイヤモンドアート」と名付ける前の段階の話です。
この頃は、まだダイエット商品やバッグ、化粧品や、おもちゃ類の売上に比べると、
「ダイヤモンドペインティング」の売上はあまり目立ちませんでしたが・・・
それでもある一定量の売上があったのに、ぴたっと売れなくなった時があり、
娘が不審に思って調べてみると、Aさんという方が、娘が仕入れた「同じ絵柄の商品」を娘が付けたKICの価格より500円も1000円も安く販売していることに気づいたのです。
さぁー。ここからが女のエグい戦いが始まりました。
ここは、私も面白がって、ちょこっと参戦しました。(笑)
なにをしたのかって?
たいしたことはありません。
AさんがKICに対して仕掛けで来た事と同じことです。
つまり、Aさんが扱っていた商品と同じものを仕入れ、安く販売しただけです。
すると、今度はAさんの息のかかったお客さんが、メルカリ最低販売価格の300円商品を買いに来て意図的に「悪い」評価をつけていったのです。
なぜ、それが判ったか?というと、
「一番安い商品を買って、悪い評価を付けろ!」と命じられたお客さんが、実行したものの、自分の良心に耐えかねて、わざわざ娘にあやまり謝罪(告白)してきたからです。
当然、娘はAさんに連絡を取り、どういうことですか?と話し合い、
結局その実行したお客さんが「鬱病・精神病患者」とかで片付けられてしまった、と記憶しています。
そんなことがあり、娘は心にイチモツを持ちながらもAさんと交流を持つようになりました。
あなた(Aさん)のほうが悪いという立場的にも優位ポジションを維持しつつ、
この頃から娘もダイヤモンドペインティングに本気になり、「ダイヤモンドアート」と名付けるようになりました。
価格もぐっと下げてAさんが販売している価格まで競うように下げて商品を売りさばきました。
娘がダイヤモンドアートと名付けた頃、ちょうどAさんやRさん達は、「ダイヤモンドペインティング」のことを、たしかドットアートと名づけ、周りの同業者さんに「マネしないでね!」と言っていると娘は笑って言っておりました。
今現在、当店が日本で最初の~老舗とか、~年前から当店が…とかサイト内で謳っているのが当時の女子高生レベルの戦いをしていた人達です。
ただ、ひとつはっきり言えるのは、このAさんの出現で、ダイヤモンドアートそのものの価格が下げられ、多くの人々の手に渡りやすくなったのは事実です。
アオトがきたよー。
KIC-himawari 物販の始まり
KICとは、
約20年ほど前に夫と私と二人で決めたカワヅインターナショナルコーポレーションという名の屋号です。
当時、私はひまわり美容室という屋号の小さな美容室を経営しており、KICの後ろにhimawariと名付けたのがWEBショップKIC-himawariの始まりです。
私たち夫婦は20年前から今も愛用しているアメリカのサプリメントの個人輸入の代行をしていました。

商品はアメリカの会社の物ですので当然カードを利用します。
カードを使うと、ポイントが貯まります。
ポイントは最初、Amazonギフト券などに交換していたのですが、約10年前に、ポイントで、なにげなく楽天で販売されていたダイエットベルトを購入しました。
微量の電流が走るタイプのもので、お腹に巻くと僅かですがお腹がピクピク動きました。
初めての体感で、これは面白いなぁ、と想い、もうひとつ夫の分もポイントで買ってみたのですが、夫は「いらない」というので、アカウントを作ったばかりのメルカリに出品してみました。
すると、新品未使用だったからか?速攻で売れてしまいました。
へぇ~、売れるんだぁ~。
面白くなった私は、同じ商品をポイントで10個、20個と仕入れました。
売れては出品し、売れては出品し、を繰り返していたら、メルカリからスパム判定を喰らうほどに、よく売れたのです。(笑)
これがKICの物販の始まりです。
娘の高校受験
娘の「うんこ掃除係になりたい!」という純粋な夢
娘の「うんこ掃除係(飼育係)になりたい!」という純粋な夢をぶち壊した(笑)、
なんとも「悪どい母」には、
娘がもうひとつの夢を持っていることを知っていました。
それは、「女優になりたい」、大阪にある俳優養成学校に通いたいという夢でした。
でも、ソロバンの塾代もままならない母子家庭には、
俳優養成学校の入学金や授業料は、とても手が出せるものではありませんでした。
そんな生活ぶりでしたが、ひっそりと親子ふたりで肩を寄せ合いながら、
九州から大阪にきて6年が過ぎようとしていました。
美容師としての仕事も、落ち着き、生活も安定してきていました。
ちょうどその頃、わたしに見合い話が舞い込んできました。
勤め先の「先生の友達」を紹介するということでした。
それが今の夫、マスターでした。
娘の、夫への第一印象は、日焼けして、パーマをあてた「チビクロサンボみたいな人」でした。(笑)
わたしの結婚には、決して強い反対はしませんでしたが、
「母親の結婚」の意義、理由、みたいなものを見いだせずにいたようです。
娘の言い分は、
『ずっと今まで、ふたりでやってきたのに、なんで今更再婚する必要があるん??
別に、これからも、ふたりでいいンじゃねぇ?』
と、いう意見でした。
確かに朱美の言うとおり。
なんで今更・・・という気持ちもわからないわけではなかったけど、
正直、わたしは大人の話相手、相談相手が欲しかったのです。
そうこうしている間に、
娘は当時の担任の先生に「母の再婚」について相談していたようです。
担任の先生は、「よかったじゃない、おめでとう!」と祝福してくれたようですが、
娘はそこではなく、「母親が老いても旦那さんが見てくれる」という言葉に、なるほどと結婚を納得したようでした。(ソコか!笑)
娘から再婚のOKサインが出たのをきっかけに、
母が再婚すると、こんないいことがあるよ、あんないいことがあるよ、と、
いままで何もしてあげられなかったことを、メイいっぱいしてあげるようになりました。
小学六年生の夏休み、子供だけを集めたハワイ行きの短期留学を皮切りに、
大阪にある俳優養成学校にも通わせるようになりました。
ECCの英会話学校にも通わせるようになりました。
ピアノも3日坊主でしたが通わせてみました。
学習塾にも通えるようにしました。
でも塾には行かず、月謝を使い込んで遊んでました。(爆)
母子家庭を経験された方なら理解していただけると思いますが、子供に
寂しい思いをさせていた分どれだけのお金を注いでも惜しいとは思いませんでしたね。
多少、ひっちゃかめっちゃかな所もありましたが、
休日は枚方パークに遊びに行ったり、花博にも行ったりしたよね。
そして、中学に上がる時をきっかけに、婚姻届けを出しました。
娘は名前が変わるのを嫌がっていましたが、それもすぐに慣れて、
将来の夢は、ごく普通に、「女優になる!!」と言い放ち・・・
俳優養成学校からは、主役とは程遠い、「ロバの足」役をもらってきては(笑)
学校の先生やクラスメートにチケットを買って貰っていました。
(先生、皆さん、その節は本当にありがとうございました;感謝!)
今振り返ってみても、
中学時代も結構幸せな学生生活を送っていたのではないか、とおもいます。
大きな変化があったのは、娘が中学2年の時、弟が生まれました。
14才も離れているので、兄弟というより、ほとんど親代わりでしたね。
弟をとても可愛がり、髪の毛を結んでみたり、ミルクをあげ、おむつも替えたりしてくれていました。
わたしが勤めに行くようになると、娘のほうが学校から帰ってくるのが早かったので、
セーラー服のまま、保育所へ弟を迎えに行ってくれてました。
やさしい、優しい、とってもいいお姉ちゃんでしたが、
セーラー服のまま乳母車を押して歩くのは、ヤクルトのおばさんからジロジロ見られて嫌だわ!
とか、
学校帰り、みんな遊んでるのに、わたしは「お迎え」があるから遊べない!!
わたしの青春かえせぇ~~!!
とか、
ヘンな喜び?の声をあげておりました。(笑)
ありがとうやったね、
あーちゃん。